自衛隊で何が起きているのか

自衛隊で何が起きているのか
                                 纐纈厚(明治大学特任教授)

 一体、自衛隊に何が起きているのか。先の南スーダンの日報問題で、稲田防衛省(当時)が結局辞任に追い込まれたのは記憶に新しい。だが、今回のイラク日報問題も、先の問題と同質である。文民統制が全く機能していない現実を、国民は再び突きつけられた格好だ。
この問題は、二つの側面を確り分けて受け止めるべきではないか。一つは、自民党改憲案に明記されようとしている自衛隊組織に内在する隠蔽体質と文民統制を蔑ろにする姿勢が一段と深まっている現実だ。自衛隊の暴走とさえ呼んでよい。
 特に中国の軍拡や海洋進出、北朝鮮のミサイル発射実験などを理由に、「東アジアの安全保障環境が変わった」として防衛予算の増大や専守防衛を逸脱する正面整備の充実を急ぐ安倍政権の下で、自衛隊は外交防衛議論が深まらない間隙を縫うように、組織と権限の拡充に奔走している。
 例えば、二〇一五年六月一〇日、参議院本会議で可決成立した「防衛省設置法第一二条改正」により、防衛大臣の下で文官(背広組)と武官(制服組)の役割期待が事実上対等となり、制服組高級幹部の政治的発言権が大きくなった。これは一連の自衛隊制服組権限強化傾向の通過点に過ぎない。このような事態を招いているのは、日本の将来にわたる平和安全保障戦略を打ち出せず、ただ日米同盟の深化と自衛隊の国防軍化に傾斜するばかりの安倍政権の責任と言えはしないか。
 二つめの問題は、実はこれこそが最も議論の対象とすべきだが、前回の事例をも含めて安倍政権が事態の深刻さをどれだけ痛感しているかである。今回の事態を征服組高級幹部の責任として事態を捉えているのであれば、それは大変な勘違いだ。要するに、国民の知る権利が、森友・加計学園問題に続いて完全に反故にされてきた責任の主体として政権の責任こそ、先ずもって問われるべきだろう。言い換えれば、隠蔽体質を抱え込んだまま権限強化に奔走し、その結果文民統制が形骸されていく現実を防止できなかった責任である。自衛隊の最高指揮権である首相、防衛行政の最高責任者である防衛大臣が、武官(制服組)を統制する能力を全く欠いていたことが明らかにされた点こそ、もっとも問われるべきであろう。文民統制が今日では逆に“武官統制”にすらなりかかっていると懸念するのは、過剰な反応だろうか。
 この機会に日本の平和と安全を担保する長期の国家戦略を開かれた場で徹底して議論し、そのなかで本来あるべき自衛隊の役割期待を再定義することが求められるべきだ。同時に、文民統制という場合の文民とは、私たち自身の事であり、私たちの付託を受けた首相を筆頭とする政治家たちであることを肝に銘ずべきだろう。私たちは、軍部が独走した戦前の苦い歴史体験を、もう二度と繰り返してはならないのだから。
  (共同通信配信記事、『徳島新聞』2018.4.7.版などに掲載)