「市民連合@やまぐち」言い出しっぺの纐纈厚さんに聞く(その5)

最近の執筆・発表論文と評論など

Q それではこれで纐纈さんへのロング・インタビューは終わります。以下に纐纈さんが今年に入って書かれた本や論文・評論などを表記し、その一部をPDFなどにして紹介させて貰います。



2017年1月~10月の執筆・発表論文と評論など(纐纈)

【単著】
➀『田中义一 总力战国家的先导者(田中義一 総力戦国家の先導者)』(中国社会科学文献出版社、A4判:全437頁,2017.7.中国語)

➁『権力者たちの罠』(社会評論社、B5判:全271頁,2017.8.)

【共著】
➂「南北朝鮮の和解と統一を阻むの:アメリカの覇権主義と追随者たち」(鳩山友紀夫他編『中国・北朝鮮の虚妄性を衝く』耕文社,2017.10.収載)

【論文・評論】*新しい順
➀「アジア平和共同体の構築をめざして:平和実現のための選択」(『活憲ニュースレター』(No.227,2017.10.2. pp.3-6)➡添付

➁「植民地支配責任の所在と批判:アジア侵略思想の根底に潜在するもの」(『市民の意見』(No.164,2017.10.1. p.9-12)

➂「リベラリズムの終焉か、再興か」(『地球ネットワーク』2017.10.)➡添付

➃「大陸国家日本への展望と地政学的知見の限界性:「生存圏」「自給自足」論を中心に」(『現代思想』No45-18,2017.9,pp.143-155)

➄「朝鮮の自主的平和統一の阻害要因:米国の覇権主義と追随者たち」(『朝鮮新報』上/2017.9.21,下/2017.9.25.)

➅「日中戦争80年から考える」(『週刊金曜日』No.1147,2017,8.4,pp.36-39)➡添付

➆「衆議院解散と安倍政権」(新華社 2017.9.25.)
http://news.xinhuanet.com/world/2017-09/25/c_1121722459.htm

➇「アメリカの原爆投下責任をめぐって」(日韓反核平和連帯編刊『陜川反核平和国際フォーラム資料集』2017.8.3.-8.6.)➡添付PDF

➈「日本政府、自粛要請から一転容認:PKO日報問題 閉会中審査・隠蔽体質かわらず」(『平和新聞』2017.8.15/25合併号)

➉「防衛大臣の役割と責任とは」(『WEB RONZA』2017.7.20.)➡添付

⑪「情報隠蔽体質浮かぶ:PKO日報特別防衛観察」(『信濃毎日新聞』2017.7.29.)、他に『河北新報』同日付,『北海道新聞』同日付=共同通信配信)

⑫「拍車かかる自衛隊組織の拡充と文民統制の形骸化」(『月刊 社会民主』No.745,2017.6.pp.16-21)

⑬「刑法の原則を逸脱:共謀罪について」(『東京新聞』『中日新聞』2017.4.8.付)➡添付

【書評】

➀「全日本海員組合編『海なお深く』(成山堂,2017)を読んで」(『しんぶん赤旗』2017.10.15.付)

➁「自著を語る:『権力者たちの罠』」(『山口民報』No.2944,2017.10.)➡添付jpg

➂「『資料編 現代5』の刊行に寄せて」(『山口県史の窓』2017.3.pp.4-8)


《本文》
『活憲ニュースレター』(No.227,2017.10.2. pp.3-6)

➀アジア平和共同体の構築をめざして:平和実現のための選択

■平和実現の方途と課題■混迷の度を深める現代の国際社会。そこでは、ヨハン・ガルトゥングの説く「構造的暴力」としての格差・貧困・差別・不正等が解消され、それらを原因とする戦争やテロ、そして環境破壊などの危機から解放されるために、私たちの英知が問われている。また、私たちは核兵器や原発の存在を許し続けることで、「核に滅ぶ」かも知れないという危機の時代に居る。私たちは、戦争やテロ、核の脅威のなかに依然として放り込まれたままだ。だが、危機の前にして立ち竦んでいる訳にはいかない。
そうした危機の時代を克服し、未来を切り開く方途のひとつとして、実に多様な学会や諸団体がアジア共同体、取り分け多様な危機を克服するために、「平和」の文字を冠してアジア平和共同体構築への道筋をつけるべく、多様なアプローチからの研究や議論が、今日の危機の深化に比例するように活発化している。アジア平和共同体構築は、何よりも経済格差も大きく、かつ混迷を深めるアジア地域を対象とすることもあって、その実現可能性を疑問視する見解も極めて高い。加えて政治・宗教・地理などの相違性も顕著であるがゆえに、「アジアが一つになる」ことは膨大な時間と努力が必要だ。
アジア平和共同体が具体的に如何なる形態を伴い、既存国家を如何に位置づけるか、について種々の議論がある。ここでは、地域共同体の先行事例であるヨーロッパ共同体(EU)のアジア版を想定していること、その意味でEUがそうであるように、既存国家の主権や領土を棄損するものではないことを、先ず確認しておきたい。具体的には、EUモデルを踏まえて構想されるならば、アジアの共通通貨を設定し、流通や人的交流の垣根を取り除いて経済的に相互依存関係を築き、欧州議会の如く、〝アジア議会〟設置や欧州大統領の如く〝アジア大統領〟を選出し、政治的合意を担保するシステムを構築していくのである。
それは決して容易なことではない。特に先んじて議論となるのは、現代国家の形態に何かしらの変革を強いられるかもしれないという不安と懸念である。例えば、2016年6月23日、イギリスは国民投票によってEUからの離脱(Brexit)を決定した。そこでは、移民受け入れの是非の判断が、自国に不在であることの理由であった。結局、2017年1月17日、イギリスのメイ首相はイギリスの正式離脱を発表した。そこには国家主権の絶対性への心性が潜在しているのではないか。共同体構築とは、国家主権の相対化による国家概念の見直しを迫るという課題を背負うだけに、その反動として過剰なまでの国家至上主義や排外主義的ナショナリズムの台頭を促す。
現在アメリカを含め、フランス、イギリス、オーストリアなど欧米諸国で共通する現象としてのナショナリズムや反グローバリズムの高揚は、突き詰めれば「国民国家」の形態を維持していくのか、それとも脱「国民国家」の方向に舵を切っていくのかが、近い将来より本格的な争点となることを予測させる。すなわち、現代国家の殆どは、固有の歴史・文化・言語などを有する多数の民族・人種を「国民」の概念で包摂することにより、国家の形成に取り組んできた、文字通りの「国民国家」である。その「国民国家」という国家形態の限界性が露呈する時代が到来するのではないか、と言うことである。

■「国民国家」観念の呪縛■かつて、現代国家が「国民国家」としての体裁や内実を獲得するためには、多様な民族性や言語・文化を固有の特性とする諸民族を、「国民」という鋳型に流し込む必要があった。文字通り「国家」を形成するためには、多様性や固有の言語・文化を容認しつつも、上位の統合概念として「国民」を持ち出し、「国家」の構成員として束ねる必要性が、少なくとも政治領域では不可欠であったのである。
例えそれが政治目的だとしても、国旗や国歌など共有可能なシンボルを使いながら、一体感(アイデンティティ)を国民に注入する作業が推し進められた歴史がある。その「国民国家」を「共同体」なる概念で、丸ごと一つに押し込めるものとする受け止めが、どうしても先行する。そこから、「共同体」構築による経済的あるいは政治的なメリットが期待される一方で、折角形成してきた「国民国家」としての一体感が崩壊していくのではないか、という危惧が生まれ、排外主義的色彩の濃いナショナリズムの流れが起きているのである。
こうした一連の流れは、国際社会に拡がる格差社会の顕在化の反映でもある。経済生活問題である格差の度合いが増すほど、人々は自らの経済生活基盤を保守しようと懸命になり、それに比例して自らが寄りかかるべく帰属意識を高揚させる。そこに発揚されるのが排他的な運動や発想により、他者を差別化することによる自己保存の心情である。ヘイトスピーチは、その典型事例だ。
実はこの心情・心性が、自らの歴史観念を非常に狭量なものにしていく。普遍的で開放的な歴史観念が疎まれ、自らが歩んできた歴史を称揚することで、他者の歴史を排除する。これまでの世界史においても、ファシズムや全体主義の政治思潮のなかに具現された動きである。それと同質の動きが、既述の如く、いま欧米で大きな流れとなっているのである。勿論、その潮流は日本にも流れ込み、それが日本会議という巨大な右翼組織の登場となり、その強力な統制を受ける安倍政権の成立へと繋がっている。改憲の方向も内容も、基本的には日本会議の意向を受けて動いている。
国家形態の変容や「国民国家」の相対化は、確かに過度的な現象として、時には徹底した排外的ナショナリズムや現代ファシズムの流れを呼び込む。だが、長いスパンで世界史を展望した場合、本来の意味における平和主義(パシフィズム)と民主主義(デモクラシー)とが国際社会で共有され、それを担保する具体的な組織や制度が確立されれば、ナショナリズムやファシズムは、何れ退潮の時代を迎えだろう。これは若干楽観的な観測かも知れないし、その過程で戦争や内乱という暴力が、この流れの退潮を阻む可能性も否定できない。だからこそ、世界平和主義と世界民主主義を普遍的な価値や原則に据えた平和共同体構築を展望する必要がある。

■平和共同体構築への努力■私自身もこの10年間ほどは、日本国内だけでなく、特に海外での講演・講義や報告・執筆に時間を割いてきた。これまでに50ヵ所以上の大学や研究機関で講演や講義の機会を与えられてきた。そのうち半分以上の演題が、このアジア平和共同体構築への課題と展望であった。往々にして大学や研究機関からの反応は、頗る良いと受け止めている。つまり、何れの大学や研究機関の教員や研究者は、何時かはアジア平和共同体構築が究極の平和実現の方途だとする認識を抱いているということだ。
但し、アジア平和共同体の構築には大賛成だが、それではEUにおけるドイツのようなリーダーシップは、一体何処が担うのか、と言う質問や意見に遭遇することが極めて多い。目的は賛成だが、その中身については、依然として相当の温度差が存在することは確かだ。その場合、「私は、ドイツと同じ敗戦国日本が主導権を握るという狭量な考えを採りません。現時点では、何処の国もリーダーである、という認識の共有が不可欠に思う」と答えてきた。
大切なことは、アジアの平和と安定を担保するアジアの安全保障体制を構築するためには、国家の敷居を低くしていくとが先決であり、その大前提として国家防衛に帰結する軍事的安全保障論ではなく、国民一人一人の安全保障、すなわち人間的安全保障論の共有が肝心だと主張してきた。そうした議論を歴史学の地平から議論する場として、私は2009年12月9日に、アジア諸国の研究者と一緒に東亜歴史文化学会を創設し、その会長を務めている。現在、約150名の会員を擁し、日本・中国・台湾・韓国の順番で学会を開いている。機関誌『東亜歴史文化研究』も今年で第八号となる。また、進藤榮一氏(筑波大学名誉教授)を代表とする国際アジア共同体学会も創設され、果敢な学会活動を展開している。私もこのメンバーの一人として、今年10月には共同論集を出版予定している。
ところで、今年の6月11日、東アジア市民連帯を主催者とする「朝鮮半島と東アジア:平和への新たなステージへ」が400名以上の参加者を得て中央大学を会場に開催され、ロシア・カナダ・中国・韓国・北朝鮮・日本から国際政治外交の専門家や運動家の報告を受けた。私は、コーディネーターとして各報告者に詳細な質問をする時間を与えられた。その質疑を通して、直ちにアジアにおける平和共同体の構築による安全保障体制の確立を目標とし、このことを関係国の政府や国民に訴えていく必要性が確認された。こうした学会活動も今日、緊張が激化している朝鮮半島情勢の課題もあり、一層活発となっている。これを政策や平和運動に如何にしたら結実していくかが、今後の課題となっているところである。
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『地球ネットワーク』2017.10.

➂リベラリズムの終焉か、再興か

民進党が事実上解党し、まだ政党の体裁を為していない「希望の党」とやらに合流すると言う。何ともおぞましい事態を迎えたことか。日本に本物の政党政治も政治家も育っていなかったことの証拠を、いやというほど見せつけられた思いだ。もはや政党政治の劣化などと言うレベルではない。日本は、政党政治不在の疑似民主主義国家だったのだ。
この事態を見て、私は直ぐに1940(昭和15年)10月12日の解党劇を想起した。当時、二大保守政党だった政友会と民政党、親軍部政党の国民同盟、それに無産政党の社会大衆党が、挙って近衛文麿が総裁となる大政翼賛会に合流した。当時流行った言葉が、「バスに乗り遅れるな!」だった。近衛を中心に、これまで培ってきた実績も信頼も全て投げうって、〈近衛新体制〉に便乗するのだと。
近衛は五摂家筆頭の家柄と長身の体躯を持って、当時最も人気を博していた政治家だった。政党政治に行き詰まり感を強めていた保守政党は、それを払拭するために軍部と好を通ずる近衛の人脈と人気に擦り寄った。言うならば、近衛とその取り巻き連が放つ甘言に籠絡されてしまったということだ。
現在進行している解党劇の仕掛け人は何処にいるのだろか。太平洋を挟んだ遠い国かも知れない。かつて田中角栄や小沢一郎を引きずり下ろした時のように。安倍首相の国粋主義者ぶりに同盟国の盟主は、もうウンザリなのだ。もう少し、スマートに世論に訴える言葉とパフォーマンスで、確りとした同盟国としての立ち振る舞いを希求するイスタブリッシュメントの声は高まるばかりなのだ。その日本代理店の〝店長〟に指名されようとしているのが、果たして小池百合子都知事なのかどうか。出自は別としても、当面は小池女史が差し詰め現代の〝近衛文麿〟と言うところか。
大政翼賛会の実態はドイツ・ナチス党の独裁政党ではなかったが、多数決主義はではなく、総裁による「衆議統裁」の決定システムを採用した点では限りなくナチス党に近いものとなった。小池女史が、安保法制の賛否を踏み絵にして旧民進党議員を選別する手法は、まさにこの「衆議統裁」を先取りするものだ。〈近衛新体制〉ならぬ〈小池新体制〉と言う名の保守革命戦略が練られているのだ。〝アベトラ―〟に代わって、〝コイケトラ―〟の登場も、このままではそう遠くないと思われてしまう。因みに、初代総裁には近衛が、二代目には陸軍大将東条英機が就任し、その東条内閣の下で対英米蘭戦争が開始されたことは記憶に留めておきたい。
歴史に範を採り過ぎるかもしれないが、民進党の解党劇から見えてくるもが沢山ある。戦後民主主義の脆弱性、政党政治の未発達、政治家の未成熟等など。別の観点からすれば、戦後リベラリズムの未定着ぶりの露呈だ。私は近代国家の成立の発展過程で登場してきたリベラリズム(自由主義)とミリタリズム(軍国主義)との対立の問題から見た政軍関係論の研究に長年勤しんできたが、あらためて日本リベラリズムとは一体何処に所在するのか、返って関心の度合いが高まるばかりだ。
本来、リベラリズムは国王が保持していた大権(prerogatives)の対抗原理として形成され、議会(Parliament)や内閣(Cabinet)が、リベラリズムの実践の場となった。やがて、リベラリズムは特にイギリスにおいては王権からの自由を確保することで自らの特権や利益を確保しようとした貴族階級やブルジョアジーの論理として定着もしていく。その一方で、フランス革命を起点として発展したデモクラシーによって、貴族階級やブルジョアジーだけでなく、多くの民衆の政治参加の意志が制度化される過程で、リベラリズムとデモクラシーとが、いわば結合していく。いわゆるリベラル・デモクラシーである。
戦後日本の保守政党も革新政党も、このリベラリズムとデモクラシーを、それこそ自民党・民進党・社民党の中道右派から中道左派の諸政党まで「民」(=デモクラシー)を付けて党名としているように、一定の目標としてきた。だが、政治の実態は、リベラリズムとは独裁者の「自由」を、デモクラシーとは「多数の横暴」を意味するものでしかなかった。そのことが、この間の安倍自民一強体制で顕在化していた。さらに民進党解党で結局は、政党政治が政党や政治家のものでしかなかったことも露呈する。まさに、リベラリズムの終焉である。
旧民進党の一部の〝リベラリスト〟たちが、「立憲民主党」を旗揚げした。それが、リベラリズムの再興に値するものかどうか、確りと見極めていきたいものだ。悪しき〝小池新体制〟を迎えないためにも。〔2017.10.2.記〕
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『週刊金曜日』No.1147,2017,8.4,pp.36-39

➅日中戦争80年から考える

明治の近代国家は戦争で始まり、戦争をし続けました。最初が一八七四年の台湾出兵で、次が一八九四年の日清戦争。一九〇四年には日露戦争があり、第一次世界大戦が起きた一九一四年には、ドイツに宣戦布告しています。なぜか、全部に「四」の数字がついている。
そして、今日のテーマである八〇年前の一九三七年七月七日に起きた盧溝橋事件を契機とする日中全面戦争ですが、中国に対する日本の侵略という観点からすると、一九三一年の満州事変がなかったら、「七月七日」もありませんでした。
それは事実なのですが、戦後の歴史研究者は満州事変から一九四五年の敗戦までを日中戦争、あるいは「日中一五年戦争」と呼び、一九四一年の米英との戦争を「日米英戦争」と呼んでいます。しかし、これは間違いなのではないか。
なぜなら、日中の戦争があって、その延長として太平洋戦争がある以上、戦場は異なっていても、これは一つの戦争なのです。中国との戦争がなかったら米国との戦争もなかった以上、「アジア太平洋戦争」と呼ぶべきでしょう。実は、「アジア・太平洋戦争」という「・」入りの表記が、以前から使用されていますが、私は「・」なしを使用すべだと一貫して主張してきました。
たとえば、一九四一年一二月八日は真珠湾攻撃があった日として記憶されていますが、その一時間以上前に広島の第五師団がタイ領のシンゴラと英領マレーのコタバルに侵攻しました。さらに日本軍は占領したシンガポールで、約六万人とされる華人の大量虐殺事件を引き起こしています。
結局、「一二・八」に米英蘭豪との戦争が始まったのは記憶されていても、アジアへの戦争がなぜか忘れられているのです。安倍晋三首相は昨年一二月二八日、ハワイを訪問し、真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊しました。しかしこれは、先の戦争は米国との戦争が中心であって、アジアとの戦争ではなかったかのように国民に知らせるための、パフォーマンスではなかったのか。真珠湾へ行くのならば、その前に中国の南京に行って頭を垂れ、中国の国民の琴線に触れるような言葉を発するべきでしょう。
このように日中戦争は、対米戦争の影に隠れて、なかなか記憶されていない。ところが敗戦の一九四五年の段階で、中国本土に展開された日本軍は一九八万人もいた半面、米英と戦った南太平洋、インドシナ方面では一六四万人と三〇万人も近く少なかったのです。軍事費も、一九四一年から四五年まで中国戦線に投入された総額は四一五億円でしたが、同じ時期の南方戦線では一八四億円と半分以下でした。
いかに中国との戦争が主要であったか、これで一目瞭然です。中国との戦争で国力、軍事力を消耗した末、二発の原爆を落とされて倒れたと言っていい。そのため、「七月七日」の盧溝橋事件は、「日本敗北の始まりの日」として歴史的に捉えるのが可能ではないか。
ところが戦後、大半の日本人は「戦争は米国の物量、原爆で負けた」、あるいは「中立条約を踏みにじったソ連に負けた」とは認識しても、「中国に負けたのだ」とは決して思いませんでした。これには理由があり、戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下で、「先の戦争を大東亜戦争という用語を使わず、太平洋戦争と呼べ」との指令があったからです。
つまり米国は、「米国との戦争が主要だった」という歴史認識を国民に刷り込み、中国やアジアへの侵略を忘却させた。占領政策として、日本人に「米国に敗北したのだから、二度とそういう憂き目にあいたくなかったら世界最強の米国に従え」という従属意識を植え付けたのです。
このため戦後、日本の中国やアジアに対する贖罪意識が弱く、日本がこうした国々に対し何をしたのかという歴史的事実も知らないまま今日まで来てしまいました。そのため、私が若かった時分の恩師である作家の五味川純平氏は、次のように述べています。
「もし日本が中国に負けたのであり中国大陸に負けたからこそ太平洋でも負けたのだということを、事実として実感をもって、全国民的規模で確認していたら、戦後のわれわれの政治・思想運動の状況は今と非常に違うものになっていたに相違ない」と。
しかも日中戦争に限らず、日本の近代国家の成立以降、面々と中国に対していびつな侮蔑意識が存在し、そのことの反省もありませんでした。満州事変の後、今度は中国に全面的に侵略しながら、軍部や官僚は「中国人はもっと軍隊を送ったら簡単にイチコロだ」みたいなあなどりがあった。だから、なかなか中国側が白旗をあげないと、「もう一発」とばかりにズルズルと戦争を拡大していく。残念ながらこうした侮蔑意識は、当時の民衆にも根強かったと思います。
これに対する反省も戦後弱かったため、現在も再び中国に対する歪んだ意識が蔓延しています。その一つが、「中国脅威論」でしょう。よく、中国の「海洋進出」が「脅威」だと吹聴され、多くの国民もそれに乗ぜられていますが、これは実際には、中国にとって実際は周辺海域の防衛ラインの構築にすぎません。
言わば、〝海の万里の長城〟とでも称すべき性格ですが、中国の軍事戦略は、「接近阻止・領域拒否」(A2/AD)と呼ばれ、米海軍を念頭に防衛ラインの内側を固め、一三億人余りの国民を守る。ところがそれが、日本に対する「脅威」だと煽られているのです。
このように、中国との戦争、そして台湾や朝鮮半島を始め、アジアへの侵略と植民地の責任を問い続けることなく、日本の平和は構築できません。八〇年目の「七月七日」を迎えた今こそ、改めてこのことを強く訴えたいと思います。
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『WEB RONZA』2017.7.20.)

⑩国民の信頼損なう自衛隊・防衛省の動き
「日報」問題の核心は何か

「日報」問題の核心は、国民の自衛隊・防衛省への信頼を損なってしまったことだ。それだけでなく、防衛大臣さえ目の届かぬところで、隠蔽工作がなされていたとすれば、由々しき問題である。真相究明を待つしかないが、防衛省との合作として隠蔽工作が実行されたとすれば、これを機会に自衛隊と防衛省の体質を正さなければならない。また、自衛隊・防衛省を充分に統制できなかった稲田防衛大臣の責任も極めて大きい。自衛隊を充分に統制できず、本件に関わる稲田防衛大臣の答弁が二転三転する様子から、文民統制が機能不全に陥ているのではいか、と思わざるを得ない。
防衛省及び防衛大臣を含めた自衛隊・防衛省の総ぐるみの工作だったか否かについては、防衛観察官の報告で明らかにされることを期待するしかないが、記憶に留めおくべきは、今回の事例では自衛隊の海外派遣の実態が、正確に国民に届いていなかったことが明らかにされたことだ。他国軍と緊密な連携で進められている軍事作戦であれば、一時秘密保持が必要な事態も想定される。だがPKOとは、文字通り「平和維持活動」であって、戦闘に参加することを想定したものではない。
稲田防衛大臣は、「戦闘行為」を「武力衝突」と言い換え、実際には戦闘の渦中に置かれた自衛隊の状況を取り繕うとした。これは断じて許されるものではない。そう取り繕ったのは、武力行使を禁じた憲法との絡みからして、そうした事態を容認すれば、直ちに憲法違反行為との批判を受けるからであろう。
隠蔽がなされたとすれば、その理由には南スーダン派遣のなかで憲法に抵触する事態が派生していたから、と受け止めるしかない。派遣の最中にあった青森の第五普通科連隊が予定を繰り上げて帰還した理由も、そこにあるのではと予測せざるを得ない。
それで、今回の問題は、大きく言って二つある。一つには、文民統制が機能不全に陥っていることが明らかにされたこと、二つには、自衛隊・防衛省に限定されないが、政府・国家機関自体の情報管理の杜撰さと、と開示すべき情報を隠蔽しようとする体質である。これは現在問題となっている森友学園問題や加計問題とも相通ずるもの。この隠蔽体質こそ、民主主義を窒息死に追い込む。
自衛隊が本当に戦闘行為に巻き込まれることへの懸念から、反対の声がおおくあったPKO。その懸念を払拭するため、「PKO五原則」が策定された。今回、それを逸脱していたことが明白なった。それでも、その事実を直ちに防衛大臣に報告しなかったことは、明らかに文民統制が機能していなかった、という他ない。
PKO活動の実態が隠蔽され、「PKO五原則」が反故にされていたとすれば、それは国民を裏切る行為と言える。これでは国民は安心して、自衛隊を海外支援活動に送り出すことはできない。派遣部隊が国民の知らぬ間に「戦闘」行為に巻き込まれ、死傷者が出る状況が出現したかも知れないからだ。秘密のベールに包まれた自衛隊の海外派遣という強い印象を国民に与えてしまったことは、厳しい現場に派遣された自衛官にとっても不幸なことだ。自衛隊・防衛省の隠蔽工作や稲田大臣の曖昧極まる言動、文民統制の機能不全も大きな問題だが、国民が完全に蚊帳の外に置かれ続けたことこそが、最大の問題である。
例えば満州事変に象徴されるように、一貫して謀略と隠蔽から戦争が引き起こされ、日本の敗北へと帰結した。その歴史の教訓から実力組織の行動は、透明性を徹底して高めることが求められてきたはずだ。それを担保する制度として戦後に文民統制が導入された。あらためて文民統制の役割と文民の防衛大臣の責務が問われている。
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『東京新聞』『中日新聞』2017.4.8.付

⑬ 刑法の逸脱:共謀罪について
「共謀罪」に強く反対しています。そんなことを言うと「おまえはテロ対策に反対なのか」と言われかねないのですが、政府が目指す「国際組織犯罪防止条約」の批准には賛成です。政府が条約を共謀罪と結び付けるやり方に大きなごまかしがあるから反対しているのです。
重要なのは、この条約はマフィアによる資金洗浄など経済的領域に関するものであり、テロなどの政治的領域の犯罪とは直接関係ないということです。批准に必要な国内法の整備は現行法で十分であり、共謀罪は不要です。無理やり結び付けたいためにテロ対策を持ち出したと言わざるを得ない。「それでもテロ防止の手だてが増えるならいいではないか」と言う方がいるかもしれませんが、テロ対策についても、現行法で犯罪の準備段階での摘発が可能なのです。
共謀罪の最大の問題は刑法の原則を大きく逸脱する点です。現行の刑法では既遂での摘発が原則。加えて未遂でも処罰される。ところが共謀罪の原案によれば、重大な犯罪に限り、「準備行為」でも処罰の対象とされる。共謀罪の特徴は計画や合意だけで犯罪が成立すること。それで「準備行為」をしていない者も処罰の対象となる。言論の自由にとって深刻な脅威となることは必至です。
共謀罪の本当の目的は何か。米中枢同時テロ以降、先進諸国では監視社会の強化につながる法整備が進められています。監視や管理による国民情報の把握、警察権力強化への重大な一里塚として「共謀罪」が想定されているととらえるべきです。「特定秘密保護法」「安保関連法」との文字通り三位一体で、安倍首相の言う「戦後レジームからの脱却」、事実上の「戦前レジームへの回帰」が法的に担保されることになります。
思い出されるのは第二次大戦前の治安維持法です。政府当局は「細心の注意を払い乱用しない」「社会運動が抑圧されることはない」などと発言していました。事実はどうだったか。当初、取り締まりの対象は社会主義者でしたが、やがて新宗教や自由主義者らにまで拡大し、約七万五千人が送検されました。
監視による閉塞した社会が戦争を生み出したことを歴史が示しています。こわもての政治が国の内外に耐えがたい惨禍を招くことを、歴史の知見として心に刻むべきです。(聞き手・大森雅弥)
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《追加》『思想運動』(「特集:青年に勧めたい一冊」2017.3.)
エメ・セザール〈砂野幸稔訳〉『帰郷ノート/植民地主義論』平凡社、1997年)
「偉大なる黒人詩人」と讃えたのはシュルレアリズムの巨匠プルトンの評。「暁の果てに・・・行ってしまえ、とぼくは奴に言っていた。ポリ公面(づら)め、イヌの面(づら)め、行ってしまえ、ぼくは秩序の下僕と希望のコガネムシが大嫌いだ」で始まる「帰郷ノート」。詩の行間をも含め、怒りと希望とが交差する。交差の向こうに果てしない人間への愛を語る。何が真理かが曖昧化する現代社会にあって、語ること、書き込むことを通して、人間愛を喪失状況に追い込んでいく全ての権力への憎しみと、そこから解放されるための勇気が何処にあるかを明示する。ネグリチュード(黒人性)運動を主導し、植民地主義を批判してきたセザール。植民地研究に深く、鋭い視点を用意する。「植民地化がいかに植民地支配者を非文明化し、痴呆化/野獣化し、その品性を堕落させ、もろもろの隠された本能を、貪欲を、暴力を、人種的憎悪を、倫理的二面性を呼び覚ますか、まずそのことから検討しなければならないだろう。」(一二五頁)。植民地化とは、他者の土地や人民を支配抑圧する最も卑劣な行為。それは国家や社会だけでなく、人間否定の最大の営みである。「内なる植民地主義」からの自己解放こそ、普遍的な意味での人間解放を意味する。セザールが現代を生きる私たちに残した課題は、あまりにも大きい。(纐纈厚 山口大学名誉教授)
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《附録 纐纈の出版物》 *古い順

【単著】

1)『総力戦体制研究』(三一書房、1981年)
2)『近代日本の政軍関係』(大学教育社、1987年)
3)『防諜政策と民衆』(昭和出版、1991年)
4)『現代政治の課題』(北樹出版、1994年)
5)『日本海軍の終戦工作』(中央公論社・新書、1996年)
6)『検証・新ガイドライン安保体制』(インパクト出版会、1998年)
7)『侵略戦争-歴史事実と歴史認識』(筑摩書房・新書、1999年)
8)『日本陸軍の総力戦政策』(大学教育出版、1999年)
9)『周辺事態法』(社会評論社、2000年)
10)『有事法制とは何か』(インパクト出版会、2000年)
11)『有事法の罠にだまされるな!』(凱風社、2002年)
12)『有事体制論』(インパクト出版会、2002年)
13)『近代日本政軍関係の研究』(岩波書店、2005年)
14)『文民統制 自衛隊はどこへ行くのか』(岩波書店、2005年)
15)『憲法9条と日本の臨戦体制』(凱風社、2006年)
16)『虚構の聖断と昭和天皇』(新日本出版社、2006年)
17)『監視社会の未来』(小学館、2007年)
18)『憲兵政治』(新日本出版社、2008年)
19)『私たちの戦争責任』(凱風社、2009年)
20)『田中義一 総力戦国家の先導者』(芙蓉書房出版、2009年)
21)『日本は支那をみくびりたり:日中戦争とは何だったのか』(同時代社、2009年)
22)『総力戦体制研究』(復刻版、社会評論社、2010年)
23)『侵略戦争と総力戦』(社会評論社、2011年)
24)『日本降伏』(日本評論社、2013年)
25)『日本はなぜ戦争をやめられなかったか』(社会評論社、2013年)
26)『反〈安倍式積極的平和主義〉論』(凱風社刊、2014年)
27)『集団的自衛権容認の深層』(日本評論社、2014)
28)『暴走する自衛隊』(筑摩書房・新書、2016年)
29)『逆走する安倍政治』(日本評論社、2016年)
30)『権力者たちの罠』(社会評論社、2017年8月)
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*現在、歴史論文集『現代歴史学研究の課題と方法』(仮題、社会評論社、2018年8月出版予定)を執筆準備中。

【共著】
1)『明治国家の苦悩と変容』(富田信男・根本純一との共著、北樹出版、1979年)
2)『現代史と「国家秘密法」』(藤原彰編、未来社、1985年)
3)『沖縄戦:国土が戦場となったとき』(藤原彰他編、1987年)
4)『沖縄戦と天皇制』(原彰編、立風書房、1987年)
5)『東郷元帥は何をしたのか』(前田哲男との共著、高文研、1989年)
6)『日本近代史の虚像と実像2 韓国併合~』(藤原彰他編、大月書店、1990年)
7)『遅すぎた聖断』(山田朗との共著、昭和出版、1991年)
8)『新視点7 日本の歴史 現代編』(原田勝正編、新人物往来社、1993年)
9)『近代日本の軌跡5 太平洋戦争』(由井正臣編、吉川弘文館、1995年)
10)『昭和20年 1945年』(藤原彰・粟屋健太郎・吉田裕編、小学館、1995年)
11)『日米新ガイドラインと周辺事態法』(山内敏弘編、法律文化社、1999年)
12)『日本近代史概説』(奥田春樹編、弘文堂、2003年)
13)『東アジアの冷戦と国家テロリズム』徐勝編、御茶ノ水書房、2004年)
14)『現代の戦争』(前田哲男・河辺一郎・纐纈厚、岩波書店、2003年)
15)『世界に問われる日本の歴史教育』(歴史教育協議会編、三省堂、2007年)
16)『日本侵华和中国抗战』(徐勇他編、中国:社会科学文献出版社、2013年)
17)『21世紀のグローバル・ファシズム』(木村朗・前田朗編、耕文社、2013年)
18)『憲法の力』奥平康弘・高橋哲哉・三宅義子共編、日本評論社 2013年)
19)『検証 太平洋戦争とその戦略』(三宅正樹編、中央公論新社、2013年)
20) 『検証 安倍談話:村山談話の歴史的意義』(村山富市他編、明石書店、2015年)
21)『私の平和と戦争』(広岩近広編、集英社、2016年)
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【拙著翻訳出版】
1)『침략전쟁(侵略戦争)』(韓国ソウル市:凡友社、2006年)
2)『侵略戦争』(台湾高雄市:高雄復文図書出版社、2007年)
3)『부활하는 일본의 군국주의(復活する日本軍国主義)』(韓国:J&C、2007年)
4)『日本军国主义的过去和现在』(中国長春市:吉林文史出版社、2008年)
5)『新日本軍國主義的新段階』(台湾台北市:人間出版社、2009年)
6)『쇼와천황과 일본패전(昭和天皇と日本敗戦)』(韓国:J&C、2010年)
7)『我们的战争责任』(中国北京市:人民日報出版、2010年)
8)『我們的戦争責任』(台湾:人間出版社、2010年)
9)『近代日本政军事关系研究』(中国北京市:社会科学文献出版社、2012年)
10)『何谓中日战争』(中国北京市:商務印書館、2012年)
11)『우리들의 전쟁책임(私たちの戦争責任)』(韓国:J&C、2013年)
12)『领土问题和历史认识』(中国上海市:三聯出版社、2014年)
13)『領土問題和歷史認識』(台湾台北市:秋水堂、2014年)
14)『”圣断”的虚构和昭和天皇』(中国瀋陽市:遼寧教育出版社、2015年)
15)『戰爭與陰謀 田中義一』(台湾台北市:五南出版、2016年)
16)『田中义一 总力战国家的先导者』(中国:社会科学文献出版社、2017年)
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