「市民連合@やまぐち」言い出しっぺの纐纈厚さんに聞く(その4)

日本そして世界で今起きていること

Q 小池新党も、そうした動きと関連性があるのですか。

纐纈 小池東京都知事率いる「希望の党」も、そうした範疇にはいる危険な政党と言えますね。6日に政策綱領なるものが発表されましたが、同党は、〝市民の顔をしたファシズム〟と言っても過言でないと思います。選挙戦を通して洗練された(?)パーファーマンスを次々と演出してくるはずですから、安倍自公政権に飽きた人たちから、一定の支持を得ていく可能性がありますね。
憲法改正や安保法制の堅持などを主張しており、どこで自民党と差別化しようとしているのか。2030年までに脱原発を実現する、ことなど謳っていますが、代替エネルギーの手法や、そもそもエネルギー政策に戦略性が全く見えてきません。次の総選挙で一気呵成に政権奪取とまでは至らずとも、結果次第では保守再編、つまり自民党議員の一部と結合して、〝自民党に代わる自民党〟となっていくかも知れません。経済政策としてのアベノミクスから〝ユリノミクス〟ですか。まさに保守革命あるいは、保守の自己革新という政治段階に突き進んでいく可能性があります。そうなると益々市民不在の専制政治が固着していくことになります。

Q 纐纈さんは、日本の政治の動きを読み解く場合に、欧米の政治事情を引き合いに出されるのですが、日本も同様な政治状況下にあるということですか。

纐纈 欧米でも、実はこのファシズム国家への逆戻り現象が顕在化しています。例えば、2016年6月23日、イギリスは国民投票によってEUからの離脱(Brexit)を決定した。その理由は移民受け入れの判断が自国に不在であることが主要な課題であったことが明らかにされていて、今年2017年1月17日、イギリスのメイ首相はイギリスの正式離脱を発表しましたね。また、2016年11月、アメリカの大統領選挙において、多くの予想を覆したドナルド・トランプ(Donald John Trump)大統領が登場しました。
さらに、フランスの右翼組織である「国民戦線」(FN)のマリーヌ・ル・ペン(Marine Le Pen)も2017年5月に実施されたフランス大統領選挙で決戦投票に残り、マクロン候補に敗れはしたものの、約30パーセントの得票率を得て次点となりました。こうした国家主義的思想が世界の潮流として顕在化しているのです。そうした流れに先んじて登場したのが、安倍晋三政権とも評価可能でしよう。
こうした一連の動きは、西欧諸国内に拡がる格差への不満から、右翼政党の台頭にも繋がっています。2016年12月4日に実施されたオーストリアの大統領選挙では、右翼の「オーストリア自由党」(FPÖ)候補であったホファー(Norbert Gerwald Hofer)が僅か3万票の差でリベラル派「緑の党」のファンダーベレン(Alexsander Van der Bellen)に競り負けはしましたが、今後に大きな弾みをつける格好となりました。同様の事態は、ヘルト・ウイルダー(Geert Wilders)率いるオランダの右翼「自由党」(PVV)、2017年3月の総選挙で、当初は首位を狙う勢いあるとの前評判に反して伸び悩みはしたが、得票数自体は伸ばしています。
ドイツでは再選を目指すメルケル(Angela Dorothea Merkel)首相に対抗して、フラウケ・ペトリ(Frauke Petry)率いる「ドイツのための選択肢」(AfD)が先ずは地方選挙で勝利を収めつつあり、この9月に総選挙が実施され、メルケル率いるキリスト教民主同盟(CDU)は辛勝しましたが、第二政党のドイツ社会民主党(SPD)についで、AfD初めてドイツ連邦議会で議席を占め、一躍第三政党に浮上しています。2016年年12月、イタリアではタレント出身のペッペ・グリッロ(Beppe Grillo)率いる「5つ星運動」(M5S)が先の憲法改正問題をめぐる国民投票でレンツィ(Matteo Renzi)首相を退陣に追い込んだのです。

Q そうした世界的な右翼化の流れの原因は何処にあるのでしようか。

纐纈 少し硬い言い回しですが、富の分配が滞り、格差社会が固定化しつつありますね。その格差は様々な領域で発生しています。カネやモノと言った物理的意味での格差だけでなく、学歴格差や職域格差など多様な形態があります。最近では、例えば、台頭する中国への不満から排外主義的なナショナリズムが浸透し、差別意識を抱くことによって格差や差別から解放されたいとする心性が派生しています。
総じて言えば、ヨハン・ガルトゥングの言う、貧困・差別・抑圧・不正など、所謂構造的暴力が跋扈する社会や世界となりつつあります。どうして21世紀の時代を迎えながら、構造的暴力が跋扈し、社会を歪なものに、人々の心を蝕んでいくのでしようか。
問題は、こうした格差社会を是正するのが政治の仕事でありながら、逆にこの格差を自らの権力を正当化し、強化するために利用とする政治や政治家が増えていることです。その先鞭をつけた一人にアドルフ・ヒトラーやムッソリーニなどファシストが居たのです。ヒトラーは、高度な福祉社会やアウトバーンに象徴される公共土木事業を起こすことで人々の歓心を買う一方で、ユダヤ人排撃によってドイツ国民に敵と味方を峻別することで国民の取り込みに成功していきます。
公共土木事業による利益誘導方式は田中角栄の「日本列島改造論」で記憶されますが、現在の自民党政権も変わってませんね。こんなことがありました。温泉好きの私は県内の温泉場を浸かり歩く趣味がありますが、この間ワイフと俵山温泉にでかけたのです。今この俵山近くに、大変大がかりな道路建設が進められていますね。フロントでその話題に触れたとき、「はい、安倍さんのお陰です!」と答えが返ってきました。私は思わず、「いや、それは納税者である私たちのお陰でしよう。」とニコリとしながら言い返しました。「もっとも、多くの納税者が道路建設に賛成した訳ではないんだよね。大きな権力を握った者が、全ての国民の声だとされているだけ。そこが政治の怖いところだね」とは、帰りの車でワイフに話したことでした。社会関連保障費の実質削減とは反対に、公共土木事業費や防衛費などに巨費が投じられる配分方法を決定するのが政治だとすれば、政治に市民がもっと関わっていくことが必要ですね。
市民主体の政治から、市民意識を権力の保持や肥大化の支えとして動員していく手法は、先ずは〝敵の創出〟なんですね。戦前には清国(中国)を「眠れる獅子」、ロシアを「北の巨熊」と称して敵対感情を煽り、戦後も最初は中国、次いで旧ソ連、そして、現在の北朝鮮、あるいは再び中国への排外意識を駆り立てる。その目的は、格差社会から蓄積される市民・国民の権力への不満や社会の矛盾を、外に向かって飛散させることにありますね。北朝鮮のミサイルを脅威だと言い募ってJアラート鳴らし、揶揄して言えば、〝土管の中に身を屈めさせ〟、権力の不正や腐敗を隠蔽しようとする現在の権力政治の本質が透けて見えますね。利益誘導で味方を増やし、敵の創出で異端者を排撃する。包摂と排除を恣意的に繰り返すのが専制政治やファシズム政治の特徴であることを繰り返し注意しなければなりませんね。

Q 何だか難しそうな話になってきましたので、より関心のある方は、纐纈さんが今年(2017年)に入ってから書かれた論文や評論の一部を、このサイトにアップされているので参照しもらうことにして、最後に、立憲民主党ができたのですが、その評価について「リベラリズム」との関連で少し触れていただけませんか。

纐纈 立憲民主党が旗揚げした直後に市民運動の機関誌に「リベラリズムの終焉か、再興か」と題した短い評論を書いており、このサイトにアップしてますので御覧頂きたいのですが、簡単に触れさせてもらいます。
民進党の解党劇から見えてくるもが沢山ありますね。戦後民主主義の脆弱性、政党政治の未発達、政治家の未成熟等など。別の観点からすれば、戦後リベラリズムの未定着ぶりの露呈です。私は近代国家の成立の発展過程で登場してきたリベラリズム(自由主義)とミリタリズム(軍国主義)との対立の問題から見た政軍関係論の研究に長年勤しんできましたが、あらためて日本リベラリズムとは、一体何処に所在するのか、返って関心の度合いが高まるばかりです。
本来、リベラリズムは国王が保持していた大権(prerogatives)の対抗原理として形成され、議会(Parliament)や内閣(Cabinet)が、リベラリズムの実践の場となり、やがて、リベラリズムは特にイギリスにおいては王権からの自由を確保することで自らの特権や利益を確保しようとした貴族階級やブルジョアジーの論理として定着もしていきます。その一方で、フランス革命を起点として発展したデモクラシーによって、貴族階級やブルジョアジーだけでなく、多くの民衆の政治参加の意志が制度化される過程で、リベラリズムとデモクラシーとが、いわば結合していく。いわゆるリベラル・デモクラシーです。
戦後日本の保守政党も革新政党も、このリベラリズムとデモクラシーを、それこそ自民党・民進党・社民党の中道右派から中道左派の諸政党まで「民」(=デモクラシー)を付けて党名としているように、一定の目標としてきました。ですが、政治の実態は、リベラリズムとは独裁者の「自由」を、デモクラシーとは「多数の横暴」を意味するものでしかなかった。そのことが、この間の安倍自民一強体制で顕在化していた。さらに民進党解党で結局は、政党政治が政党や政治家のものでしかなかったことも露呈したと思います。その限りでは、まさにリベラリズムの終焉と言って良いでしよう。
その一方では、旧民進党の一部の〝リベラリスト〟たちが、「立憲民主党」を旗揚げした。それが、リベラリズムの再興に値するものかどうか、確りと見極めていきたいと思っています。

Q そう言えば、『朝日新聞』(2017年10月6日付)で三浦瑠璃さんが「混沌の正体3 リベラル 生活に根ざして」で、「私は日本型リベラルに懐疑的です」と仰ってましたね。纐纈さんは三浦さんと紙上で同じくされたことがあるのですか。

纐纈 三浦さんとは、大分以前に『朝日新聞』の「耕論」で私が左側、三浦さんが右側に比較的大きな写真と一緒に「文民統制論について」の半面記事が掲載されたことがあります。まさに〝美女と野獣〟の雰囲気でしたね(笑)。「あさ生」で舌鋒鋭く他者の意見を「お花畑」と揶揄されて支持も受け、やや高飛車な物言いも手伝って反発をも受けておられる研究者ですね。決してタカ派でもなく、中道右派程度に位置しておられる方ですかね。彼女の言い分で理解できない訳ではないところがありますね。「本当の個人主義に根ざした世界水準のリベラリズム芽生えず、憲法9条以外に強いアイデンティティがない。残ったのは自分への利益配分だけを求め、既存の権力を批判することに偏った集団です」という件(くだり)です。これ立憲民主党を念頭に据えられた発言かと思います。
私は護憲論者ですから、人類の普遍的価値を標榜する憲法9条に強いアイデンティティを抱くことを積極的に奨励したいと思いますし、優れたアイデンティティの対象と思っていますので、その部分は三浦さんの弁に与しません。それに自分への利益配分とは物理的な利益を指しているのか不明ですが、私たちはリベラリズムのなかで、市民連合が目指す三大主義の深化を求め、そのなかで人権が担保される市民社会づくりを射程に据えているのですから、この物言いは少し外れてるな、と思いますね。
ただ、三浦さんの発言のなかで、安倍政権の特徴をこれ以上のリベラリズムの拡散を阻止することだと喝破されている点は合意しますね。それと「改憲に抵抗のない世代が増え、護憲や安保政策を中心にしたリベラリズムの支持基盤は細っている」と指摘されたところも。そして、三浦さんも指摘されている通り、これからのリベラリズムは論としても肝の部分を抑えつつ、不正規労働者の待遇、女性の権利向上、差別や貧困など人権侵害を固着する政治の変革など、生活感溢れる主張や政策を提言実行していく先駆者的な役割に重点を置くことだと思います。「真のリベラリストは真の生活者である」という観点の共有が、これからの課題です。究極のリベラリズムとは、人間が生まれながらにして持つ自然権を全うする社会の構築にあるのですから。

Q 小池都知事の新党たる〝希望の党〟と、何よりも〝小池劇場〟の本質について、纐纈さんはまたあちらこちらで書かれると思いますが、そのポイントだけでも少し御話頂けませんか。

纐纈 民進党の解党劇をみていて、私は直ぐに1940(昭和15年)10月12日の解党劇を想起しました。当時、二大保守政党だった政友会と民政党、親軍部政党の国民同盟、それに無産政党の社会大衆党が、挙って近衛文麿が総裁となる大政翼賛会に合流したのです。当時流行った言葉が、「バスに乗り遅れるな!」でした。近衛を中心に、これまで培ってきた実績も信頼も全て投げうって、〈近衛新体制〉に便乗するのだと。
近衛は五摂家筆頭の家柄と長身の体躯を持って、当時最も人気を博していた政治家でした。政党政治に行き詰まり感を強めていた保守政党は、それを払拭するために軍部と好を通ずる近衛の人脈と人気に擦り寄ったのです。言うならば、近衛とその取り巻き連が放つ甘言に籠絡されてしまったということです。
現在進行している解党劇の仕掛け人は何処にいるのだろか。太平洋を挟んだ遠い国かも知れない。かつて田中角栄や小沢一郎を引きずり下ろした時のように。安倍首相の国粋主義者ぶりに同盟国の盟主は、もうウンザリしていることは間違いありません。またまたジャパンハンドラーの蠢く姿を彷彿とさせる動きが、今回の小池劇場の始まりです。安倍首相の曖昧模糊とした二枚舌に政治への不信を募らせているのは、同盟相手のアメリカの権力核も同様です。もう少し、スマートに世論に訴える言葉とパフォーマンスで、確りとした同盟国としての立ち振る舞いを希求する同盟国のイスタブリッシュメントの声は高まるばかりなのです。その日本代理店の〝店長〟に指名されようとしているのが、果たして小池百合子都知事なのかどうか。出自は別としても、当面は小池女史が差し詰め現代の〝近衛文麿〟と言うところでしようか。
大政翼賛会の実態はドイツ・ナチス党のような独裁政党ではありませんでしたが、多数決主義はではなく、総裁による「衆議統裁」の決定システムを採用した点では限りなくナチス党に近いものとなりました。小池女史が、安保法制の賛否を踏み絵にして旧民進党議員を選別する手法は、まさにこの「衆議統裁」を先取りするものです。〈近衛新体制〉ならぬ〈小池新体制〉と言う名の保守革命戦略が練られているのだと捉えています。〝アベトラ―〟に代わって、〝コイケトラ―〟の登場も、このままではそう遠くないと思われてしまいますね。因みに、初代総裁には近衛が、二代目には陸軍大将東条英機が就任し、その東条内閣の下で対英米蘭戦争が開始されたことは記憶に留めておきたいところです。
私たち「市民運動@やまぐち」は、この〝コイケトラ―〟の登場を阻み、多様性・民主性・平等性を根源とするリベラリズムの実践活動の担い手となるべきではないか、などと思ったりしています。