「市民連合@やまぐち」言い出しっぺの纐纈厚さんに聞く(その3)

「市民連合@やまぐち」とは

Q さて漸く本題ですが、先ごろ、「市民連合@やまぐち」を設立されたのですが、その目的など御話頂けますか。

纐纈 そうですね。「市民連合@やまぐち」は、本年10月1日に発足しました。HPでアップした文書で示していますが、3日に県庁記者クラブで記者会見をして、県民の皆様に御案内する機会を得ました。このHPにもアップしているような内容を要約しながら、基本的には「市民連合@やまぐち」は、当面は安保関連法の廃止、憲法擁護、立憲主義の回復など個別的な政治課題に取り組むだけでなく、それ以上に立憲主義・民主主義・平和主義の確立を目標に現行の政治を根源から変革し、市民主体の政治=市民政治を実現するための、特定の政党や団体としてではなく、あくまで市民ひとりひとりを主体とする個人の集合体として位置づけています。
 そして、「市民連合」自体が政治組織化するのではなく、以上の政治理念を体現する既成政党を積極果敢にサポートしていく、まさに政党と市民との接着剤としての役割を果たしていくことを目標としています。

Q 昨年、纐纈さんに野党の統一候補として出馬を御願いし、そこに総がかり行動をはじめ、多くの市民が支援していく構図が出来上がったのですが、今回の衆議院選挙では民進党の解党劇があり、参議院選挙と衆議院選挙の違いなどもあってか、その流れが怪しくなってますね。

纐纈 そうなんです。私が「市民連合@やまぐち」の呼びかけをさせて頂いたのは、昨年折角大きな野党共闘が成立し、多くの市民の方々が大きな動きをされたのが途切れてしまうのではないか、と思ったからです。この野党共闘と市民との接着税が益々必要になっているのではない、同時に若い有権者や有権者予備軍にも訴えかけ、公の空間で幅の広い議論の場を構築していく必要性を感じたことでした。そして、政治運動が、私たちの日々の暮らしや未来の社会を、どのように改善し構想していくのか、いまこそ真剣に問う時代に入ってきていると思ったからです。
 既成政党や労働組合という枠組み以外にも、誰もが自由気儘に議論し、政治の主体は私たち自身であることを、当然ながら自覚する行為の集積が、成熟した民主主義社会を作り上げていくのだと信じています。

Q 具体的にどのような行動を提起されようとしているのですか。

纐纈 実は10月3日の記者会見に続き、翌日の4日に山口市内で開催された総がかり行動の世話人会議に出席し、結成の目的と具体的な行動を提案させて頂き、概ね賛同と了解を得ました。
 第一に、当面は選挙がありますから、そこでは「市民連合@やまぐち」が掲げる基本原則に賛同頂ける候補を全力支援していくことです。ですからどの立候補者を支援するかは私の提案で了解頂きました。そこでは具体的にどの候補者を支援していくか決定しています。勿論、市民連合は、お一人お一人の立場を尊重するものですから、個人単位の選択権に委ねる訳ですが、同時に市民連合としての〝総意〟の形成も当然ながら大切にしていきたいとも思っています。
 第二に、学習と議論の場を構築していくことです。私は昨年から今年にかけて月一回のペースで市民講座を担当、その後も6月から8月にかけて三回ほど「市民大学」の名称で講義を担当させて頂きました。この他にも内山弁護士による「憲法講座」も開催されています。こうした学習会や市民大学を可能であれば、講師団を編成し、山口市内だけでなく県下の市町で開催していければと思っています。大分前のことですが、私は山口県選挙管理委員会が主催する「山口法政大学」の副学長及び講師を担当し、県内六ヵ所(山口市・防府市・下関市・萩市・岩国市・宇部市)の会場で、主に20代から30代の青年たちを対象に講義を結構長く続けておりました。この経験を踏まえ、私は学習と運動の有機的な結合のなかで、政治の主体者としての自覚を持って頂きたい、と思っています。
 第三に、〝県内民主主義〟を深めていくためにも、県下の市町に私たちお志を同じくする議員さんたちを育成していく必要があります。私も昨年の参院選で県内を隈なく回らせて頂くなかで痛感したことは、市町にそうした議員さんが少ないことです。草の根の民主主義とは古い表現かも知れませんが、民主主義は地域から起こしていかなければと思います。「地域民主主義」(Local Democracy)を定着させていくことです。利益誘導や利権主義が跋扈し、またはそれを誘導することが「政治」だ、とする認識から脱却することが大切に思います。
 第四に、やはり選挙に出かけて有権者としての権利行使を果たして頂きたいな、と思っています。私は大分前に「山口県明るい選挙を推進する協議会」(明推協)の委員をしておりましたが、これも青年層の政治意識を高め、投票率に繋げていく一つの方法でありました。投票率向上のために、私も頭を悩ましていました。立会人を若い方に任せようとか、家族で気軽にでかけられる雰囲気づくりをしようとか、ある意味では物理的なレベルでの対応を念頭に据えて議論しておりました。しかし、大切なことは有権者の市民としての自覚を促す方法や、何よりも魅力ある政治、魅力ある候補者の存在ではないか、な思います。
 現状の市民社会の成熟を阻むような政治が横行するようになった今、兎に角まずは「選挙に行こうよ!」と呼びかけたいですね。投票率77.2%を記録した先の韓国における大統領選挙には及ばないにしても、せめて60%台半ばから後半位は記録したいものですね。
いずれにせよ、地域住民の政治的自立を促し、労働者である前に一人の市民であることを原則としながら、繋ぎ合える相互関係を築き上げていくとが、現在のある意味では専制主義的な政治の流れを断ち、一人一人の人権を大切にできる市民社会の構築に結果するのはないか、と思うのです。

Q 纐纈さんは記者会見の場や、4日の世話人会議の場でも、現在の社会は猛烈な右発条(ばね)が効いていて、「排除」だの「選別」だの差別的な言い回しも抵抗感なく受容されていく社会になっていることに、繰り返し警鐘乱打されていますが、その辺のところを少し触れて頂けますか。それが、今回の市民連合結成の動機だと言われていたので。

纐纈 そう民主主義の基本は多様性だと思うのです。勿論、ベンサムの言う「最大多数の最大幸福」(the greatest happiness of the greatest numbers)ではありませんが、政治の究極の目的は、国家の充実とか発展の前に個人の幸福です。国家とは、個人の幸福を支援するための、いわば道具にしか過ぎません。その道具たる国家が、諸個人の権利を制限し、諸個人の価値観を決定するのは根本から間違っています。けれども国家は、何時の時代になっても肥大化し、個人の権利(人権)を平気で侵害するのです。そのようなことがないようにと、国家を監視し、縛りを設ける為に創られたのが近代憲法です。いま、安倍自公政権も希望の党などは、そうした近代憲法の役割期待を大きく歪め、貶めようとしているのです。「国民あっての国家」から「国家あっての国民」とする倒錯した考えを押し付けようとしているのです。まさに国家による専制政治ですね。
 そこではフランス革命以降、概念として定着し始めた、そうした国家に取り込まれてしまわない「市民」の存在が確認されてきたはずです。勿論、市民と国家は対立する概念ではないのですが、あまり国家が強くなると市民の存在が希薄化していくことになります。日本国憲法は、民主主義の成熟による市民社会の成長を促した憲法理念を確り語っていると思います。自民党の憲法草案は、このことを全く理解しないばかりか、国家主導の国家主義が貫徹された社会を創ろうとしています。それを分かり易く言ってしまえば、ファシズム国家ということになります。