拍車かかる南北朝鮮の和解と統一への道
~「動き出した春時計」は誰にも止められない~
纐纈厚
■白頭山の雪が溶ける前に
韓国で文仁寅大統領が登場して以来、「6・15南北共同宣言」への見直しの機運が高まっていた。韓国の人々は、いつまで対米屈従外交を続けるのかと憤りを深め、不平等な韓米関係と従属的な韓米同盟の見直しを希求する切実な声を挙げていた。韓米同盟の見直しは、同時に「6・15南北共同宣言」に示された自主的平和的統一の実現を迫ることであった。そこでは韓国の主権回復の課題と南北朝鮮の自主的平和的統一の課題が、まさに表裏一体ものとして捉えられていたのである。韓国にとって南北朝鮮の和解と統一は、主権回復運動そのものである。
そうした韓国での動きに呼応するように、長年アメリカとその追随者たちの恫喝に屈することなく自主自立の揺るぎない方針の下で国家建設に邁進してきた共和国は、三度目の南北首脳会談を実施する、と世界に向けて発信した。まさしく白頭山の雪が溶ける前に、比喩的に言えば、南北間に降り積もった雪を南北朝鮮の首脳者と国民の熱い思いで溶かそうとしている。それはまた、「6・15南北共同宣言」以来、止まったままの春時計が、再び動きだしたと言えよう。「動き出した春時計」は、もう誰にも止められない。
金正恩労働党委員長の首脳会談開催提案を受諾したトランプ米大統領も、そのことを充分に承知しているがゆえの判断であった。ひたすら日米間の連携のなかで最後まで制裁の緩めないとしている安倍政権も、その大きな流れを正面から見据えて欲しいものだ。
■アメリカの首脳会談受諾の背景は何か
朝米首脳会談開催決定までに時間を要した背景には、アメリカや日本などの経済制裁や米韓合同軍事演習への共和国の反発と抵抗があるが、より本質的な理由は何よりもアメリカの硬直した対共和国政策にあった。朝鮮戦争における休戦協定を反故にし、最初に朝鮮半島及び周辺に核兵器を中核とする強大な軍事力を展開し、共和国への恫喝を恒常化し、イラクやリビアを侵略した状況を朝鮮半島でも再演することを根本に据えたアメリカの政策は、共和国との対話のチャンスを最初から排除していた。それゆえに共和国が核開発と核ミサイル保有へと舵を切らざるを得なかったのである。
アメリカは経済制裁の限界性にようやく自覚することになり、同時に強大な戦力展開が共和国の軍事強化を引き出すだけだと理解するようになった。だからこそ、首脳会談の提案を受諾する結果となったのである。南北朝鮮の緊張関係の緩和が南北朝鮮の首脳の主導の下に進められ、アメリカとこれに追随する日本は、南北朝鮮の首脳の勇気ある行動によって、平和を担保されることになろう。
それにしても南北朝鮮の極めて戦略的な統一構想が明確に存在することを、依然として理解できない日本政府の後ろ向きの姿勢は目に余る。南北朝鮮分断の歴史的責任を負う日本が分断解消のために、なすべき責任を全く果たさず、事実上分断固定化と共和国敵視政策を続けようとする反歴史的責任と人道的責任は極めて大きい。
ここに至っては、日本が遅ればせながらでも南北朝鮮の自主的平和的統一のために、何ができるかを真剣に検討すべきであろう。4月に予定されるトランプ大統領と安倍首相の会談が、単に日米同盟の強化と共和国への制裁は緩和しないことを確認するだけであるとすれば、あるべき歴史の流れに顔を背けることを意味する。それは日本国民の多くが望むところではない。
■朝鮮分断は誰の責任か
今回事態が急速に動き出したのは、一朝一夕で決定されたことでは勿論ない。ましてや米日を筆頭とする経済制裁の結果でもない。アメリカからの恫喝、それに従属する日本の圧力を跳ね返すだけの力強い南北朝鮮民族の連帯が、一貫して水面下で深められていたからである。
そうした朝鮮民族同胞の思いを見事に表現した金正恩労働党委員長の以下の言葉をあらためて引用しておきたい。それは先ず、「5000年の悠久の歴史と燦然たる文化を誇る朝鮮民族が、70余年の長きにわたり外部勢力によって分断の苦痛と辛酸をなめているのは、これ以上たえることのできず容認できない民族の恥です」と言い切った刮目すべき断言である。朝鮮分断の原因は日本の朝鮮植民地化によって起因し、それをアメリカの覇権主義が固定化したのであって、決して朝鮮民族が招いた訳ではない。しかし、それを敢えて「民族の恥」と言い切ることによって、自立的かつ主体的に分断状況を克服しようとするその不退転の姿勢を最大限に評価したい。
さらに続けて、「国の分断が持続すればするほどわが同胞がこうむる被害と災難は重なり、朝鮮半島における戦争の危険は増大し、しまいには民族的惨禍をまぬかれないでしよう。国と民族がそれぞれ自己の利益を前面におしだし、きそって発展を指向しているとき、朝鮮民族が北と南にわかれていまなおおたがいに反目し対決しているのは、みずから民族の統一的発展をはばみ、外部勢力に漁夫の利をあたえる自殺行為です。これ以上民族の分断を持続させてはならず、われわれの世代にかならず祖国を統一しなければなりません」と続ける(以上、チュチュ思想国際研究所編『金正恩著作集』第2巻、白峰社、2017年1月8日刊、188頁)。
今回の南北首脳会談及び朝米首脳会談の提案の理由は、まさにこの金委員長の発言に集約されているのではないか。この勇気と英断が「南北朝鮮の自主的平和的統一」に結実することを、私は確信している。
■イージス・アショア配備計画に絡めて
最勿、来月末までに予定される南北朝鮮首脳会談、それに続く米朝首脳会談が一瀉千里に分断の解消と共和国の核廃棄には結果しない。そこまでには相応の時間経過と、何よりも南北朝鮮の現在我々が把握している以上の紐帯関係が一層深化することが求められる。また、アメリカや日本の世論に潜在する共和国への脅威感や嫌悪感の払拭が不可欠である。現在なお混迷を深める従軍(軍隊)慰安婦問題をめぐる日韓関係、拉致問題や核ミサイル発射をめぐる日朝関係の軋轢など、日本にとってはかつての植民地支配責任をどのように真摯に受け止め、歴史的和解に主体的に乗り出し、両国との信頼醸成に努めるかが、一層問われることになろう。問われているは、むしろ日本であることを自覚しない限り、「核放棄まで制裁の最大化」を鸚鵡返しに繰り返すばかりの安倍政権は、この間の朝鮮半島情勢をめぐる展開から完全にスポイルされ、日本への不信が韓国やアメリカからも深まることは必至である。
安倍政権が自衛隊軍拡の延長として予定している秋田市新屋地区と、萩市むつみ地区へのイージス・アショア配備計画の前提としての共和国の「ミサイルの脅威」が緩和化される方向性が明らかになると予測される現在、その配備計画の見直しは当然の政策判断となるはずである。
南北朝鮮関係と米朝関係が緩和化される一方でなお、イージス・アショア配備に拘ることは、アジアの安全保障環境の変化を無視する行為に等しい。共和国は朝鮮半島周辺に展開する強大なアメリカの核兵器を中心とする戦力が、共和国を対象とするものでないとなれば、日本の米軍基地及び自衛隊基地を攻撃対象に組み入れることは全く在り得ない。
説明がつかなくなった安倍政権は、今度は中国脅威論を再び持ち出すかもしれない。しかしも中国が日本を対象として戦争発動する可能性は皆無である。となれば、イージス・アショア配備は、ただ単に日米貿易不均衡を是正するための経済政策であり、高額な兵器購入を恒久化するためのアメリカ軍需産業への奉仕でしかない。そのために厳しい財政状況のなかで税金の無駄遣いを国民に強いる行為以外なにものでもないことになる。安倍首相は「東アジアの安全保障の緊張激化」を口実に軍拡を正当化してきた経緯がある。そうであるならば、同じく東アジアの安全保障の緊張緩和の先行きを見通しつつ、直ちに軍拡を止め、軍備削減に舵を切るべきではないだろうか。イージス・アショア配備計画の中止は、アジア地域全体に平和実現への意志を示す道標にもなり得るのだから。
(3月10日記:東京大空襲73年目の日に)