「市民連合@やまぐち」言い出しっぺの纐纈厚さんに聞く(その1)

プロフィール

Q 纐纈さんとは珍しい名前ですね。由来は何ですか。

纐纈 『ブリタリカ国際大百科事典』の「小項目辞典」に、以下のような記述があります。

「交纈とも書く。絞染のこと。糸や紐で布をくくったり、縫糸をしごいたりして染液に浸し、水洗いや乾燥ののちその糸や紐を解いて模様を表わす。臈纈(ろうけち)、夾纈(きょうけち)と並んで三纈といわれ、古来、基本的防染法の一つとされた。発生は古くインドとされ、中央アジア、中国を経て7世紀の飛鳥時代に日本に伝えられた。『万葉集』にはすでに「ゆはた(結幡)」の語がみえ、『源氏物語』には「目染め」、『平家物語』にも「滋目結(しげめゆい)」の記述がある。鹿の子絞りや疋田絞りのことである。また近世の文献にも纈(ゆはた、くくり)などの文字がみえ、布をゆわえて染模様としたことがわかる。江戸時代の友禅染の原型ともいわれる辻が花染も、縫締絞りを主体とした絵模様である」

 ところで本物は、京都の正倉院に保管されています。そこでは「東大寺屏風1-2 北倉182」の分類で「緑地目交纐纈絁(みどりじもっこうこうけちあしぎぬ)」として観ることができますが、「縁(?)のある者だから観せて下さい」と言っても駄目でしようね(笑)。正倉院のHPは以下の通りです。
http://shosoin.kunaicho.go.jp/

 また、滝村謙著の『日本のきもの』(中公新書、1966年刊)には、「天平の三纈」(てんぴょうのさんけち)として、「纐纈染め」が紹介されています。奈良の時代から江戸中期まで続いた技法で、江戸時代には上級武士やら貴族やらの晴れ着として珍重されたそうです。現在でも鹿の子絞りとか結目などの技法に受け継がれているそうです。本物は初対面の方や講演に赴いたおり、特に御婦人方から、名前の由来を繰り返しきかれるのです。大体、このような具合に文献を素材に話しています。生まれは岐阜の美濃地方ですが、実家が特段染物屋を営んでいるわけではありません(笑)。

 

Q 随分と詳しく教えてもらいましたが、その御名前に因む何かエピソードなどありませんか。

纐纈 大分以前のことですが、『週刊現代』(2010年1月9・/16日合併号)から取材がありました。何でも「特集 人は名字で分かる 名字の研究」のタイトルで取材したいと言うのです。てっきり専門に関わる事かと思いきや、珍しい名前を特集しているので、何か面白い話がありませんかとのことでした。私は雑誌や新聞に寄せた評論やコメントの類は大体一年間経過したものは廃棄してしまうのですが、この記事だけは面白いので保存しておりました。
 それでそこに私は次のように答えてるんです。「纐纈は岐阜県では当たり前の名字なんですが、小さい頃は苦労しましたね。テストのときなど、みんが名前を書き終わって1問目にかかっているのに、僕はまだ名字を書いている。名字を書くと真っ黒になるので大変でした(笑)。」(164頁)と。冗談を言ったら、そのまま雑誌の記事にされたしまったのです。
 他にも苦労はありますね。「こうけつ」と発音しづらいのか、初めての人が「こうづき」や「こうげつ」やらと濁音で発音するので、訂正するのが面倒でしたね。それと、最近は「こうけつ」でなく「はなぶさ」との読み方があることを知りました。私はまだお会いしたことがないのですが、初監督作品らしいのですが、『祝の島』(ほうりのしま)で原発問題を取り上げられ、シチリア環境映画祭のドキュメンタリー部門で最優秀賞を受賞された纐纈あやさんがおられますね。

 

Q 纐纈さんのプロフィールを簡単にでも教えて貰えますか。

纐纈 1951年岐阜県生れです。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了し、暫く東京の国立大学や私立大学の幾つかで非常勤講師などしてました。それと併行して毎日のように国会図書館や防衛省防衛研究所戦史部図書館、それに外交史料館や国立文書館に通う日々でした。いままでも一番勉強した月日でしたね。沢山の貴重な史料を収集できたのも、この頃ころでしたね。60代も半ば過ぎたので、もう一度史料閲覧と収集の日々を取り戻したい、と密かに考えていますが、実現できるかどうか。大学に勤務するようになってからは、中国や台湾など海外の講演やら講義に訪問する折りに、時間を割いて档案館(中国の図書資料館)などで史料収集作業に勤しむのですが、この時に覚えた史料閲覧収集の方法を活かすことができました。
 1991年4月から山口大学教養部の助教授となり、1996年から教養部の廃止に伴い、人文学部に移行しました。それ以来、2016年3月に退職するまで25年間山口大学に勤務していました。2010年から副学長、大学情報機構長、2012年から理事兼副学長・大学教育機構長など勤めました。現在は、山口大学名誉教授の身分です。中国大連市にある遼寧師範大学など、複数の海外の大学の客員教授でもあります。
 現在、東亜歴史文化学会(2009年12月9日創立)の会長や、植民文化学会の副代表などを勤めていて、山口大学を退職した後は学界の仕事も増えています。専門は日本近現代政治史・現代日本アジア政治論など、結構守備範囲が広くなっています。学位は政治学博士(論博)です。マレーシア・シンガポール・中国・台湾・韓国などの東南アジア各地での日本軍による虐殺事例を現地調査・研究に従事しながら、山大だけでなく、特にアジアの大学での講義や講演を担ってきました。これからも担っていくつもりです。
 これまで出かけた大学は、台湾では淡江大学、世新大学、国立政治大学、東海大学、開南大学、台湾大学、台湾師範大学、韓国では韓国外国語大学校、江陵大学校、壇国大学校、淑明女子大学校、嘉泉大学校、高麗大学、中国では北京大学、西安交通大学、山東大学(済南)、遼寧師範大学(大連)、西南大学(重慶)、東北大学(瀋陽)、大連外国語大学、東北師範大学(長春)、吉林大学(長春)、華橋大学(厦門)、南開大学(天津)などです。この他にも中国社会科学研究所、高麗大学の日本研究所、台湾の台湾研究所などにも交流訪問しています。