アンチ・リベラリズムに抗して

アンチ・リベラリズムに抗して「市民連合@やまぐち」への期待 
                                        纐纈 厚

市民運動の発展過程のなかで
 山口知事選挙が終った。残念な結果ではあったが、大きな前進が具現された選挙でもあったように思います。なぜならが、一昨年の参議院選挙から昨年の衆議院選挙と続いた国政選挙で実現した市民と野党との共闘体制が、今回の知事選挙においても結実したからです。これは私たちが望む政治の実現のためには、避けて通れない貴重な体験であり、その体験の集積のなかで確実な展望を語れる時が来ると確信しています。
 私は1991年4月に山大に赴任して以来、直ぐに意気投合した白松哲夫さんたちと本会「憲法を活かす市民の会」(活憲)を立ち上げ、そして改憲問題が本格的に浮上してきた折に、山口県立大学の三宅義子さん(故人)たちと「平和憲法ネットワーク・やまぐち」(ネットワーク)を、そして昨年10月には、衆議院選挙を控え、「市民連合@やまぐち」を仮結成し、本年1月14日には県知事選を控えて正式に発足しました。
 言うならば、時代状況とそれに適合する市民運動組織の結成を皆さんと一緒になって実現してきました。そこに通底するのは、党派を超えた広範な市民を結集するための、緩やかな組織であり、同時に護憲野党との連携を逞しく射程に据えた市民運動を創りあげることでした。活憲結成当時、既成政党や労働組合と一緒に市民運動を展開する必要性を痛感しながらも、それは極めて部分的なものでしかなく、政党も労働組合も、市民運動をかなり低位に見積もっていたことは否めませんでした。
 しかし、政党運動や労働組合運動の低迷状態のなかで、市民運動の必要性が次第に認識され、浸透もし始めたのです。ネットワークの結成当時、漸くにして政党や労働組合との共同が実体化し始めたものの、護憲野党の全てを包摂するような現実にはありませんでした。しかし、護憲野党と市民運動が2016年7月の参議院選挙で野党統一候補を担いで選挙戦を闘う過程で、「共同・連携」の枠組みが固まっていきました。その成果の延長として、昨年の衆議院選挙と今回の県知事選に臨むことができたように思います。活憲結成当時と比べれば、隔世の感があります。来年の参議院選でも、是非この枠組みの一層の充実のなかで、今から闘いの陣営を構築すべきです。

リアル・リベラリズムを求めて
 ところで、今回の選挙戦の期間中、私は一体市民運動とは何だろうか、反問し続けていました。現在の政治状況は、市民主体の政治という戦後民主主義が希求してきた、所謂リベラリズムの世界とは程遠く、アンチ・リベラリズムの勢いは増すばかりです。これは私の造語ですが、〝リアル・リベラリズム〟(本物のリベラリズム)を産み出していくために、最終的には既成政党をも牽引していくパワーを秘めた市民運動の構築が不可欠だと信じています。そうした考えを皆さんと共有するために、「市民連合@やまぐち」の結成を呼び掛けさせて頂きました。現在、県内各地で「市民連合@やまぐち ****の会」との名称で市民連合が既存の政党や市民運動・市民グループと連携を維持しながら横断的な市民運動組織として活性化しつつあります。この動きを加速させる時に思います。
 一昨年の参議院選挙に出馬要請を勝敗を全く度外視して受諾したのは、恐らくそのような思いが私自身の心の奥底に存在していたからであったと思います。そんな思いを抱いていた折り、参院選の折に二度も応援に駆け付けられ、1月14日の結成大会の折にも講師として御招きした上智大学の中野晃一さんから、近刊の『私物化される国家』(角川新書)が送られてきました。私は謹呈本には必ず感想を添えて順番に御礼上を出すのを常としていますが、何冊かをスルーして、その題名に惹かれて直ぐに目を通しました。
同書の「第6章 アンチ・リベラリズムの時代」には、共感を持って受け止められる件が綴られています。所謂護憲政党をリベラル政党(中道左派政党)と規定した場合、それが包摂可能な領域は、残念ながら狭まる一方です。民進党の分裂に始まり、護憲政党の何れもが伸び悩み状態に陥っているのは、党員や支持者の高齢化の問題ばかりでは勿論ありません。市民自体の政治意識や価値観が多様化し、市民社会内部に分化傾向が拡大しているからです。
 換言すれば政治の遠距離化です。若者が巧妙に偽造化された「政治」に極めて安直に籠絡している現実も、政治が遠のき、皮膚感覚で実感できなくなっているからです。そこには現在の政治が発する言葉の弱さ、政治そのものの劣化があるかもしれない。確かな政策や政治戦略、選挙手法も不可欠に違いありませんが、それだけでは浸透力は担保できません。
さらに、経済的格差、意識の乖離など複雑化しています。これを権力側からすれば、誠に都合よく、そこにメディアをも取り込んで狡猾な世論操作が行われている訳です。まさに市民分断の政治状況下に晒されているのです。中野さんは、それを「アンチ・リベラリズムの破壊力」と称しています。権力はヘイトや虚言、フェイクニュースを撒き散らし、自由や人権、民主主義などの価値規範を嘲り壊そうとしている、と的確に指摘しているのです。その思いは私がずっと抱いてきたことでもありました。
同時にアンチ・リベラリズムは、日本だけではなく、アメリカでも同様です。このような事態に対応可能なのは、柔軟な発想と、特に青年層の思いに寄り添える語りと場の構築です。それゆえに、これからの日本を変えていくのは、その質的な可能性を秘めた市民運動にこそあるのではないか、と思います。これからは市民運動が主役となり、それをサポートする既成政党という構図が、リアル・リベラリズムの獲得と充実には最も相応しいのはないか。活憲や市民連合は、そうした未来の主導的役割を担える可能性を秘めていると思います。
(*本稿は、活憲会報誌『にゅうすれたあ』(第231号・2018年3月3日発行)に寄稿した拙稿に若干の修正を加えたものです。)

【追記:「市民連合@やまぐち」の皆さんへ】
 私事で恐縮ですが、この4月から一介の研究者として大学に復帰します。まだまだ研究者としてやり残したことが沢山あり、研究者として全うしたいと思っています。私に後どれほどの時間が与えられているか分かりませんが、教育だけでなく、日本を中心にアジア諸国における軍備削減問題や国際武器移転史の研究を中心に行う計画でいます。
これまで山口の地で皆さんと一緒に市民運動に参画できたことは幸いでした。また、皆さんにも支えられて参議院選挙への出馬という貴重な体験を与えて頂いたことなどを含め、この場をお借りして心から御礼申します。また、参院選後全国から例年になく沢山の講演や執筆の依頼を頂戴するなど、退職後の2年間は暫く大学業務から解放され、実に有意義な時間でした。皆さんには様々な運動の場で本当に御世話になりました。
 「市民連合@やまぐち」は結成間もないですが、松田さんや大久保さんを中心に、今後さらに全県的な市民運動組織として充実していって欲しいと願っています。改憲の動きも加速される今年、これに抗する運動づくりが求められます。そのなかで、来年夏の参議院選挙に向けた闘いの陣形も早急に整えて頂きたいと切に願っています。
 山口で過ごした27年間に頂いた皆さんの御厚情に感謝申し上げながら、これからは少し離れた場所からですが、皆さんの御活躍を祈念しています。長い間、本当にありがとうございました。